ある日の引き寄せワークショップのメモより。
今回のテーマは「求めよ、さらば与えられん(Ask and It Is Given)」です。
エイブラハムの本で「Ask and It Is Given」(邦題:「新訳 願えば、かなうエイブラハムの教え」)というものがあります。
そのことについて、ある男性が、「願えば与えられるというのは、何だか人まかせな気がする」と質問していて、それに対するエイブラハムの答えです。
【宇宙の法則】「求めよ、さらば与えられん」の本当の意味 – あなたは受け取る準備OK?

男性「『願えば与えられる』というあなたの本が大好きなのですが、ただその…願えば与えられるというのが、何だか投げやりというか、人まかせな気がしていて…」
以下、エイブラハム
ええ、まさにあなたが感じているその通りなんです。
なぜなら、宇宙の力はあなたの代わりに、驚くべき規模で動き出すからです。
もしかして、こんな風に思ってました?
「求めよ、そうすれば私が稼ぎましょう」とか
「求めよ、そうすれば私が100%自分の手柄にしましょう」と?
「求めよ、そうすれば私が自分で掘り起こして、誰にも知られずに裏庭に埋まっているのを見つけましょう」とか。(会場笑い)
そうではないでしょう。
「求めよ、さらば与えられん」というのは、「求めよ、そうすれば宇宙は私が求めるものを正確に私に差し出すだろう」という意味なんです。
「求めよ、さらば与えられん」…。
もっと長いタイトルの方がいいですか?
「求めよ、そうすれば宇宙の非物質的なエネルギーによって、私が求めるものとあらゆるものの関係性を知り、協力的な要素を全て知り、この展開のあらゆる部分を知る宇宙の力によって、即座に、そして私が求める力の正確な割合で与えらる。私が求める時、それは与えられる」
求めれば、与えられます。
でも、ほとんどの人がそこで引っかかってしまうのは、
「私は求めたのに、どこにあるんだ?」
「私は求めたのに、あなたは与えられたと言う、あるいは与えられると言う、どこにあるんですか?」
と言うからです。
それに対して私たちは「それはボルテックス(波動の現実)の中にある。あなたはどこにいますか?」と答えます。
すると、あなたは「私はここにいる。私がいるところに出てきてほしい」と言います。
それに対して私たちは「それなら、与えられたものを見ることができるように、あなたの波動の目を開く必要がある」と言います。
でもあなたは「あなたはただ私にくれるのだと思っていたのに」と言う。
それに対して私たちは「それは与えられた。今、あなたはそれを物理的なものに翻訳する必要があります」と言います。
あなたは与えられたものを、自分が望むものに翻訳する必要があるんです。
これは、人々が望むよりもずっと長いタイトルだけど、役に立ちました?(会場笑い)
男性「ええ、とても役に立ちました。私は本当に分析しすぎて、解決策を見つけようとしすぎていたんです。もっと良い心構えは、たぶん…。」
では、あなたが求めた時、それは与えられたと信じていなかったと思いますか?
男性「私が求めた時、世界はすでにそれを反映していると信じています。だから、それはすでに私の周りに何となくあるんです。でも、私の態度はもっと、「どうにかしてそこにたどり着く方法を見つけよう」という感じでした。だから、難しかったんです。
宇宙に対して、与えられるということに対して、「私に投影されている」という意味では問題ありませんでしたが、それは何か外部の力が与えようとしているような…」
あなたは本当に重要な点を指摘しています。これについてもう少し深く考えてみましょう。
あなたは意識であり、あなた自身の現実の創造者ですが、もっと正確にいうなら、
「あなたは自分が知っている以上の存在であり、あなた自身の現実の共同創造者である」ということです。
さらに正確に言えば、「あなたはあなた自身の現実の波動的な引力であり、あなた自身の現実の受け取り手であり、あなた自身の現実を可能にするエネルギーの輪郭である」と言うこともできます。
だから私たちは多くの異なる言葉を使い、あなたがそれを理解するのを助けるために多くの異なるプロセスを提供してきました。
これを理解するのは簡単なことではないんです。
物理的な感覚を使って自分の世界を理解してきたあなた方人間が、見ることができず、ただ感じることしかできない波動を使って自分の世界を理解しようとするのは、簡単なことではありません。
これを理解しろというのは、過大な要求だということを私たちは知っています。
それでも、求めない限り、与えられることはありません。
そして、あなたが求めない限り、一貫性を持って自分の人生経験を計画することもできないんです。