ある日の引き寄せワークショップのメモより。
エイブラハムはよく「準備のできた人から叶っていく」という言い方をしています。
正確には「準備ができたら、もう叶っている」なんですけど。
「準備」とはなんでしょうね?
【願望実現】準備のできた人から叶っていく【引き寄せの準備とは…?】

この話を、皆さん気にいると思うのでよく聞いてくださいね。
今日の終わりまでに皆さんは、今から私たちが説明することを理解するでしょう。
そして次の数日間で、あなたが望んでいたことが現実になりはじめて、それは他でもない、あなたの波動がシフトしたからだということを理解するでしょう。
ですから気を楽にして、ここからの話を楽しんでください。
私たちはここで、ボルテックス(波動の現実)について話をしてきました。
あなたが今いる場所で、あなたが何を考えどう感じるかによって、波動のグリッドというものを作り出しているとお伝えしてきました。
グリッドというのは、現実化によって満たされるフレームのようなもので、そのフレームに私たちは豊かさや、活力や、友人といったものを注ぎ込むのです。
(注:グリッドに宇宙のエネルギーが順次流れ込むイメージ)
私たちは、あなた方が求めているすべてのことを、ひとつ一つ、細部にいたるまで満たしていきます。
そのうちのいくつかは、まだ波動のままだとしても。(いずれ満たされる)
こう説明するとあなた方はこんな風に言います。
「エイブラハム、私は波動の現実という概念を十分に受け入れています。
エイブラハムたちがそうするように、私もそれを創造のボルテックスと呼んでいます。
でも何か現実化しないことには、ボルテックスにワクワクすることはできません。」
ということなので、「グリッド」の概念と組み合わせてみましょう。
波動の核(nucleus)を準備すれば、ボルテックスの中身が流れ込んできて、グリッドが満たされます。
でも一度に全部はやってきません。
そんなこと望んでないでしょう?
残りの人生で食べることになる食べ物を、今日一日で全部食べたいとは思いませんよね?そうでしょう?
少しずつ、そして、満足するようにきて欲しいですよね。
波動の現実が、今日一日で全部あなたの経験にダウンロードされても困りますね?
そういうことは望んでいないはずです。
少しずつ、自然にやってきて欲しいはず。
論理的な段階を踏んでやってきて欲しいはずです。
やって来ることについて心配する必要はありません。
いずれにせよやって来るのだから。
準備が整ったときにきて欲しいですよね。
私たちが話しているのはそのことです。
どうすれば自分が求めているものを受け取る準備ができるのか?
この話をするとほとんどの人が「私は準備できています」と言います。
「宝くじに当たる準備ができています。だから毎日宝くじを買っています」と。
(会場笑い)
「恋人を見つける準備ができています」
「準備ができています、準備ができています、準備ができています」。。。
それで私たちは言うのです。
「もし準備ができていれば、それは起こっている。
そしてもし、起こっていないなら、あなたは準備ができていない」と。
では、準備のために何をしたらいいのでしょう?
準備ができていない原因となっているあることをやめないといけません。
どういう意味でしょう?あることとはなんでしょう?
それは「願ったものの欠如について話すこと」です。
それがあなたがいつまでも準備ができない原因なのです。
(注:例えば時間がないと言い続けることで、いつまでも時間がなくなる)
あなたはそのつもりがなくても、自分が望むものの欠如という波動の練習をし続けているのです。
まずそれをキッパリやめること。
「でもそうしたら友達が一人もいなくなってしまう…」
(会場笑い)
「だって大体いつもみんなでそんな話ばかりしているから…」
「もうテレビも見られないゆ。テレビでは年中そんな話ばかりだから…」
「一体どうすれば…?」
私たちからの解決策をお伝えしますね。
まず、あなたが望むものはそこにあることを受け入れてください。
そして、あなたがしなければならないのは、波動的に自分自身を準備することだけです。
そうすれば、水が下流に流れるように、願ったことはあなたの経験に流れ込み始めるでしょう。
今日ここで話したことをほんの少しでいいので試してみてください。
そうすれば、とどめられていたものが流れ込んでくるのがわかるでしょう。
そして、このように理解するでしょう。
「なるほど、これが私の意図的な努力(私たちはこの言葉を慎重に用いますが)
私の意図的な努力、私の意図的な集中、気分良くありたいという意図的な気持ちによって、
私は意図的に自分の思考をもっと気分が良くなる考えに変えた。
私の思考への直接的な反応として、この出来事が起こったんだ。
直接的な反応として」
望むものであれ望まないものであれ、やってくるすべてのことに注意を払うことは本当に重要です。
なぜなら、それはどちらも同じことだからです。
この概念がエスターにとってまだ新しかった頃、何か本当に素晴らしいことが起こると、エスターは「これは私がやったことだ」と言っていました。
彼女は高揚感を感じていました。道を発見したんです。
そして、何か望まないことが起こったときも、同じように彼女は「私がやった」と言っていました。
「これも私がやったんだ」と。